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今の日本の消費者の多くは外国の高価なブランド商品にも高額を支払います。その対価はどう値づけされているのでしょうか。消費者は何に対して代金を支払っているのでしょうか。
バブル以前の話ですが、都心のあるホテルのルームチャージ料が1泊5万円〜10万円と聞いて驚いていると、ある方が、「いや最高の立地にあるホテルというのは、地価も格段に高い。その場所で一流の設備と最高のもてなしと最高のロケーションを提供しようとしたらいくらかかると思いますか。そのサービスを一日の対価で考えるとどうですか。サービスというものがついてなのですよ」とコメントされました。今ならそれほど驚きはしないでしょうが、振り返ってみると、サービスが代金の中に占めるウエイトが年々増えていることをあらためて実感します。
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■サービスはタダではない
和菓子屋さんがサービス産業として立ち後れたイメージを持たれがちであることは、年々活況を帯びてくる洋菓子屋さんと比べても明らかでしょう。もちろん、どの経営者の方もお菓子のおいしさや品揃え、親切な接客や適切な商品説明、お菓子をすすめるコーディネート力、好まれるパッケージデザインなどのサービスを、決してないがしろにしておられるとは思いません。が、それらが今の生活者に受け入れられているのか、ということです。
どうして、そんなギャップが生まれてしまうのか。それはサービスを商品の対価に反映させていく考え方をあまり持っておられないからではないでしょうか。
「うちは菓子を売っているんだ、サービスを売ってるわけではない」という声が聞こえてきそうです。でもお菓子を最高の材料で最高の技術を使ってより親切に販売しようとした時、開発コストや品質の維持にかけるエネルギーも含めた目に見えないコストを、原価に加算することはあたりまえのこと、その商品に責任をもつということでもあるのです。
和菓子に比べると、洋菓子はケーキ1個700円、1000円のものも多くなりました。対価が買った人の満足度を示していることの表れでしょう。では和菓子は最高のものでいったい1個いくらになるでしょうか。そこに、後々までもお客さんを裏切らないサービスのコストをどう含めることができるでしょうか。
専門店であるお菓子屋さんには、おいしさの保持は当然として、そのことを伝えるメッセージ、センスのよいパッケージング、など、いろいろなサービスがあります。店頭に立つ人は、お菓子には春夏秋冬の彩りがある、菓名がある、なぜそう名付けたのか、できうるならばこういう状態で食べて欲しい、といったことを適切に伝えることができるプロでなくてはなりません。
しかし作り手側はたいてい製造に引きこもって、店の外には出てこない。それを伝えているのは、小さなお店であれば奥様か、店長さんかですが、もし売場のスタッフであれば、その人の社会人としてのモラルが不足しているかもしれないし、まごころこもったおもてなしの感覚が行き届いているかどうかといえば、マニュアル内のサービスに留まっていることが往々にしてあります。ファーストフードなど外食産業に、消費者はいわゆる棒読みの対応以上をあまり期待しないでしょう。それでもスターバックスのように、コーヒー一杯の価格にサービスの対価まで含め他との差別化をはかっている企業もあり、消費者はそういったサービスのなかで生活しているのです。
よりよいサービスを提供するために、プロ中のプロをアウトソーシングしてその教育を任せるとなれば当然コストはかかります。が、その分、お客さんはまたその店を利用したいと思うでしょう。もしご自分の店がいささか時代おくれになってきている、あるいは勢いがなくなってきたと感じておられるなら、自社の商品を自社ならではの最高のもてなしで提供しようとすることを決断して、それを商品の対価として計上していくことを本気で考えていくべきだと思うのです。専門店として生き残りうるか否かも含め、<最高の>サービス産業を自覚することが一流店として群を抜いていくための方策だと考えます。
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■時代の読み方、価値観のとらえ方
多くの生活者にとって一番身近な存在となっているコンビニのように、デイリーでお客さまと接している流通業のサービスとはなんでしょうか。「利便性」という突出したコンセプトに基づいて、商品だけでなく通信や宅急便、キャッシュサービスやチケット販売など、エージェントの役割も担っています。また、御存じのように、寒い日にはおでん、暑い日は冷し中華やざるそばと、天候による商品の調整も敏感に行ってきました。
そこには、ミクロな現象から販売活動を展開するだけでなく本質を読み取りマクロ的な潮流を起こしていこうとする戦略があります。マクロの潮流を起こすとは、「今日の非常識が10年後の常識になる」という信念のもとに経営が行われているということだと思います。新しい現象を待っているというスタンスではなく、パースペクティブに分析していくことで一過性ではない商品開発にエネルギーを注ごうとしています。
ITをいち早く取り入れたその独自のノウハウの集積が大きな武器。開発した商品を売り場に定着させるまでのスピードを非常に短くしたとも言えるでしょう。生活者が欲するものを先取りして、社会において確実に“便利”という価値観を確立しました。 |
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■価値をつくりだす
お菓子の価値とはいったいなんでしょうか。単においしさに満足できるもの、家族だんらんやおつきあいといったコミュニケーションに便利なツールアイテム、また、その土地の名産でありファッションとしての価値感も否定するものではないでしょう。どのオーナーのみなさんも商品を価値あるものにするために情報を収集し、常に勉強しておられます。
ただ、私がいつももったいないなと思うのは、売れる商品にはいつも注目しておられますが、売れなかった、あるいは売れなくなった商品の「なぜ?」を次へと活かそうとしておられないことです。
店内のしつらえはどうでしょうか。例えば、お店にこられるお客さんのなかで、もし高齢の方の割合が多ければ、その方々の満足は満たされているでしょうか。
さまざまな人が訪れる大型商業施設、特にコンビニでは、今、特に高齢者に対するサービス提供に余念がありません。コンビニではだいたい1店鋪平均して3000枚以上のプライスカードを使っているそうですが、セブンイレブンはすべて26mmから46mmに拡大して文字を2倍の大きさにすることに取り組んでいます。そこには数億円の費用が投入されますが、9月末までに11000店鋪すべて更新すると発表しました。また他のコンビニも一斉に、店内を高齢者や障害者に配慮したバリアフリー設計に切り替える改装工事をすすめています。商品にも高齢者向けの日用品を加え、特に和菓子はアイテムを増やしオリジナル展開するなど、新しい取り組みをおこなっています。
商品のサイズや数のアレンジという点でいえば、和菓子屋さんは、洋菓子屋さんやコンビニの敏感さをもっと見習うべきでしょう。ミクロな現象をマクロにとらえる手法は、世の中をみてとる着眼を日常にもつことからはじまります。
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■異常か変化か
私の古くからの友人が、「異常か変化か」と題して、ある媒体に記事を寄せていました。一つ一つの現象を異常と見るか、それとも変化と見るかいうことです。異常という現象はどんな波瀾が起きようともかならず元に戻る、つまり一過性ということです。でも変化という事体は抑止不可の現象で、中長期的に次の場面に推移して絶対元に戻らないというのです。
つまり、今は非常識なものであっても、それが時代の変化によるものだととらえるならば10年後には常識になっている。本質的な変化を「変化」と見てとれるか否かということが、時代を見る目があるかどうかということなのでしょう。
新しいものが生まれる背景には、それが欧米型のモデルから進化した「中食」というフーズサービスでも、現在のように便利になった宅急便サービスでも、現象を時代の変化と読んだら迷わずビジネスに反映しようとする意志があります。お菓子屋さんもしかり、1個の対価を決める前に、そのお菓子の価値を決める時代感覚が大切なのです。他店と比べてどうか、なのではなく、少々高くてもこの店に決めた、と思わせる店づくりに勇気を持って取り組んでください。
最後に一言だけ。六本木ミッドタウンのお客さまは、4ヶ月目となった今も一過性の方々ばかりととらえていいでしょう。でも「新しいものを見たい」という消費者の欲望は、夢や願望の表れ。来場者の何割かは、受けたサービスを心に留めておられるでしょう。そういった現場へぜひ足を運んでください。そして満足したお客さまが、何に心を留めてまた来訪したいと思っているかをみつめてください。商品なのか、売り方なのか、店の雰囲気なのかデザイン性なのか、あるいはその店のこだわりそのものに心を動かしているのか。そのサービスがどういう要素として対価に含まれるのかについても。
もっと視野を広げると、ヒルズ、美術館、TBSなどの動向も含め、六本木を開発しているデベロッパーの時代を見る目もみえてきます。「東京だからできることだ、地方では無理」と諦めないで、最前線で繰り広げられている新潮流、過酷な競争ではあるがだからこそグローバルとも言える街づくりの夢を、ぜひご自分の街づくりを考えるきっかけにして欲しいのです。小さくても、ともに手を組んでコラボレーションすればいいし、知恵を集めれば掘り起こしや新たな価値の創出も叶うかもしれません。
まずは実行に起こすことから始まります。そして継続することが何より大事です。最低でも3〜5年続けてこそカタチになってくるもの、価値は時間をかけて磨かれていくものです。当社ができることでしたら、いつでもお手伝いいたします。
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