昨秋の中越地震後、新潟地区に当社のお客さまをお見舞いいたしました。現地はニュース等で知る以上に悲惨な状況で、激しく被られた実態を目の当たりにしてつつがなく一年間を過ごしている幸せが身にしみました。 菓子屋さんの場合、台風に散々痛めつけられた原料の出来に左右されていたところへ起こった今回の地震でした。菓子作りに欠かせない<水>についても、地下水脈が大きく変動したため、今後、これまでどおり良質な水が得られるかどうかが非常に懸念されます。 もとより、新潟県下の経済は東京地区のお客さんに大きく左右されています。今回は交通機関が寸断して観光地も通常時期の1〜2割の商売しか成り立っていないという深刻な事態が続いており、現場の工場の設備や住居家屋損壊等についても、一日も早い復興を願ってやみません。
2005年の菓子業界を展望するにあたり、附随して商売させていただいている我々包装業界においても、景気は上向いてきたという国の見解等に相反して厳しい時代を実感しています。 心配されるところは定律税制の改正による増税の結果、消費がかなり低迷するのではないかという点です。やや上向いてきたというここ数年の見通しに水をさすような現象が間違いなく起こるのではないか、特に嗜好品であるお菓子の売り上げの減少は避けられないと考えています。 包装業界の材料や資材については、昨年来厳しい状況にあります。これは石油製品ナフサ等の原料高、そこから波及する運賃や関連商品の高騰が度重なったことによるもので、我々も価格改定を余儀無くされました。 お菓子屋さんにとっては、原材料とパッケージのダブル値上げという現状下に置かれ、一層、合理化への努力が求められているわけですが、そういった企業内の努力の結果が刻々と問われてゆく年になるのではないかと思います。 一方で消費者は、“本物のお菓子”“専門店の味”が何であるか、“他にはない、飽くなきおいしさ”を、さらに求めていく傾向にあり、がゆえに安価原料では満足できなくなっています。顧客満足度は多様化をみせ、どのようなお菓子が選ばれてゆくかの判断が作り手に問われることとなるでしょう。
ある新聞に面白い記事がありました。タイトルは<累積淘汰>、英国のリチャード・ドーキンスが示した概念です。その記事を以下にご紹介します。 「例えば朝食をとるとしよう。ウェイターはこう説明してくれます。『朝食バイキングは和洋中、各300ずつご用意いたしております。まず和洋中どれになさいますか?』−まあ洋食にしようか、と全くのおもいつきで僕が言う。そうすると和と中の600種類が全体から落ちてしまう。『パンとライスのどちらに?』−パンにしようか。これもおもいつきだが、これでピラフやヌードル類はすべて落ちる。『パンはロールですか、トーストですか?』−トーストにしよう、『バター、ジャムどちらですか?』−バターだな…、これで和洋中900種類の中から<バタートースト>が、たった四段階で決まることになる。進化もこれと同じだとドーキンスは言うのである。一旦、パンと決めたら、次の淘汰はパンの中だけで起きる、これが<累積淘汰>なのである」。 こういうことが、お菓子の淘汰にも起こっています。昔、大先輩が「尾関さん、お客さんはいずれ和菓子に戻ってくるよ。50才以上になると和菓子に懐かしさを感じてくるに違いないから」という話をしてくれました。そういうものかなと首をかしげたものですが、この<累積淘汰>の概念に重ねてみると、どんな現象にもそれだけの理由があることが明らかになってきます。 幼少の頃から慣れ親しんでいるものならば回帰する可能性もありますが、未経験の場合はどうか。ファーストフードやジャンクフードで育っている現代の若者たちがいくら歳をとったとしても、いきなり和菓子好きになるとは正直なところ考えられません。くり返しとなりますが、この先、各家庭の経済環境も見通しが厳しくなり、年金問題はじめいろんな自己防衛を計っていくとなると、嗜好品に対してたやすく予算を回していただけない状況になる。そんな中へ、本来、生活の潤いを側面からもたらしてくれるはずの和菓子が、果たして入ってゆける現状でしょうか。そう考えると、家族のしきたりや文化を伝える絆、親子間の会話さえ危ういのではないかと、家庭の在り方までが案じられます。