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Vol.9
 新年あけましておめでとうございます。

 旧年は、嫌気がさしてしまうような出来事ばかりが表面化した一年でした。報道の大半が、現代社会を停滞させる大きな問題の一端を象徴するもので、その本質は、他人事とは思えない危機感を孕んでいます。

  株式会社アンゼン・パックス代表取締役 尾関武男

 親が子を、子が親を手にかける、あるいは自ら命を絶つ…といった事件が頻発、原因は深く悩み、思いつめた故ということでなく、“わがまま”をいとも簡単に通している現代の風潮にあるように思えるのは私だけでしょうか。
 図らずも、昨年を振り返った一文字言葉は「命」。“命の尊さ”は人間が生きるための原点であり社会の大原則であるはずなのに、その基盤が大きく揺らいで地割れを起こしていくような事件に、人間の“質”とはこんなものなのかと考えさせられました。いったいどこでどう掛け違ってしまったのでしょうか。これまで日本人は物心ともに豊かさを目指してきたと思っていたのに、ひょっとしたら汗水流して築いてきた豊かさは、無駄を作り出すにすぎないのかもしれないと思えるほどです。
 今の若い人たちが、とりあえず大学を出て、とりあえず組織の一員となって飯を喰っていくことができればいいと考えているように見受けられるのも、経済のゆとりがなく将来が見えない、結婚するより親に依存していた方が楽であり、自分の家庭はいらない、少子化の問題は社会現象だといった意識にあるのかもしれません。個々が自分の“考え方”を持っているというよりは、意識の段階のままとどまっていることも気になります。こういったことを我々は軽んじ、ともすれば、社会不安や教育問題など政治の責任として片付けてきた、そんな気がしています。

■夢と責任の間で
 一方の大人たち、私たちはどんな夢を持ち、次世代の若者たちに何に託そうとしているのでしょうか。現在、日本の子供一人にかける教育費は年々上がっている反面、教育のレベルアップが叫ばれています。そこで議論されていることは、単に基礎能力低下への危惧と対策であって、それ以前に必要な人間形成教育に関する議論がないがしろにされているように思います。人間としてのモラル教育の欠如が社会問題にまでなっているにもかかわらず、それらは教育費外、教師が体罰をもって子供を叱ることができない以上、家庭で責任もって行いなさいよ、ということなのでしょうか。
 一人の国民として国を形成していくという意識や家族を形成するという意味、さらに言えば、自分自身が世代を担っていくという意思、人として生きていくための本来が、基盤にあってこその教育だったはずです。ここで“ホリエモン”や“村上ファンド”を引き合いに出すのは短絡すぎるかもしれませんが、その主張には社会全体への考慮が欠けていて、何を物語るにしても“自分だけがよければ”という意識が現われているように思いました。

 では経営者は、社会に対してどうあるべきなのでしょうか。会社は仕事によって利益を追求するシステムであり、その利益配分によって個々の社員が幸せになるための場です。もちろんお客さまにも利をもたらしたい。ついては会社組織が社会にどれだけ貢献できるか、それが根本的な姿勢であり目標です。
 法に触れる事件を起こし、社会的保障の問題になってはじめて経営者の責任が問われるといった事件が起こるたびに、「利を求めるのであれば方法論は選ばない」という考え方が露骨に表出しています。どんな処方を用いても、株主を愛し、株主だけに還元し、業績を追及していくことばかりが評価される風潮が平然と通っている社会になってはいないでしょうか。決して偽善者ぶっているわけではなく、このままでいいのかという大きな危惧を抱いています。

 先日、「利を見ては義を思う」という論語の教えを引いた論説を新聞の社会面で目にしました。「問題は、利益を上げるためには何をしてもいいという意識にある。決してそうではないだろう。自ずから善悪のけじめはつけなくてはならない。まずは定められた法令に従わなくてはならず、それは苦しくても辛くても守っていかなくてはならないルールである。では法令さえ守っていればそれで十分なのかというと、そうではない」。それを教えているのがこの「利を見ては義を思う」という先人の言葉であると筆者は述べています。
 義とは正しいという意味、人間として当然守らなければならないことですが、では法と義はどこが違うのか。法は違反すればペナルティが課せられるが、義を踏み外しても法に照らされ処分されるわけではない。ここが大きく違うわけです。それでも義を踏み外したらなんの咎めも受けないかというと、やはりそのやり方、経営者の質を批判され、会社の存続を維持していく信用そのものを失うことになります。法令違反は論外、その経営において義を留意していなければ、法を踏み外すよりもむしろボディブロウのように会社を失墜させ、信頼回復には計り知れない努力と時間を要するでしょう。
「ふだん、義をなおざりにする風潮が積み重なって、それが法令違反へと発展してしまうのである。だから利益の追求は義によって十分に歯止めをかけなくてはならない。それができてこそ経営者といえるではないか」と筆者は結んでいます。

 このことは、ちゃんとやっているつもりでも、経営者が再確認し、企業教育としても絶必なことと思います。そして、大企業、中堅企業にかかわらず、ある仕事をもって社会に貢献しようとする組織体が意識を結束させることができれば、必ずやモラルも向上するはずなのです。結果、政治家たちがどう税金を使ってくれるのかという納税者の意識や関心も高まるでしょう。
現在、日本人一人当たりの借金が300万円を越えると云われています。このことは経営者としても孫の代まで責任を感じるところですが、そもそも日本人は欧米に比べて、税金に対して無意識、無責任な国民レベルであることは否めません。それも社会参加を認識できない原因だと思います。少なくとも一経営者が一国民として何をなすべきか、私達にはそれが今、問われています。

■夢とならわしと和菓子の関係
 最近、弊社と取引していただいているお菓子屋さんから、「もう和菓子は売れなくなった。和菓子だけ作っていても、これからはもう買っても食べてもらえなくなる」などと悲観的なお話を伺うことがあります。そういった話を聞くにつけ、ご商売以前に、和菓子屋さん自身の仕事が実はどれだけ素晴らしい社会貢献しているかを見失ってはおられないかと感じます。
 お菓子を食べることによって家族の平和が保たれてきました。お菓子が家族団欒や人とのおつきあい、郷土への愛着などをとりもってきました。日本人が大切にしてきた慣習に密接にかかわっているのが和菓子です。核家族化がすすみ、暮らしのなかで団欒というまとわりがなくなり、日本のならわし、社会風土、家族の習慣などが忘れ去られている現状は、確かに商売として深刻だと思います。でも、だからこそ、和菓子屋さんが社会に貢献できる役割も大きいのではないでしょうか。

 昨年の『東和会』誌上に、全国和菓子協会専務理事の藪氏が、「今の子供たちの生活には去年と今年の間を区別する何ものもなくなっている」と書いておられたことは、とても象徴的なことと受けとめました。
「お正月といえば、かつては当たり前だった、かるたや凧揚げ、羽根つきなどの遊びも、家々に掲げられる日の丸や松飾りも、今やめずらしいものになってしまった。おせち料理は百貨店で予約するものになってしまい、もちろんその意味も知らされない。松を立て、日の丸を掲げ、年の初めを祝い、挨拶を交わすことで正月が来るのに、正月は生活の節目となる大切な儀式ではなくなってしまっている。ゆえに子供たちはお正月を感じることもなければ、なぜ“明けましておめでとう”と言うのかさえも知らずにいる」といった話でした。「30年もかけて失ってきた“正月らしさ”は、今や和菓子屋が正月を誇張して装い、祝うことでしか取り戻せない」「なりゆきにまかせてはいけない」と警鐘を込め、呼びかけておられます。まさにその通りだと思いました。
 日本人はなぜ“ならわし”を大切にしてきたのか。ならわしを家庭や地域単位の“よりしろ”として、子供にルールを教え生活を豊かにしてきたことが、生きていくための知恵だったのではないでしょうか。たとえお彼岸のお墓参りがピクニックのようなものであっても、それは先祖を敬うことを教える機会であり、ひいては個々の存在意義を知らせる大切な家庭のしきたりでした。そういったことが根こそぎなくなってしまうと、自分の身近なことにしか価値を見出せなくなるのは当然のなりゆきかもしれません。
 この“自分の身近なことにしか価値を見出せない”ことが、社会のしくみに与える影響は考えるまでもありません。事件として表質している企業不正行為の数々、大が小を呑み込むことを当然とする合併による市場の独占、いじめの問題、家族殺しにしても、すべての“自分本位”は、家庭環境の変化による“しきたり”の喪失と無縁ではないと思います。
 さらに地球レベルで考えると、地球温暖化の問題にも行き着いています。環境汚染や枯渇する有資源、特に怖いのは水の問題です。降雪量が減り海抜が上がっていって、生命の源である水の枯渇にも繋がっているのです。京都議定書で決まったCO2の排出量6%を数値的にクリアすればOK、ならば制約外の国からその排出量の権利を買えばいい、などという考え方が通ってしまうことにも唖然とします。地球全体、みんなの問題として考える会議ではなかったのか。力を合わせて解決するしか生き残りはないのに嘆かわしい現状です。今や家電品なし、CO2の放出なしでは生活できない日本だからこそ、心掛けることがあると思っています。
 今、先人が教えてくれている“もったいない”という言葉を復活させようという運動が起こっているそうです。“もったいない”という精神が、無駄づかいを諌め、適性な消費を教え、物の大切さを伝えてくれるというものです。便利さや消費の量が文化のバロメーターだとする履き違えを、今こそどこかで是正することが求められています。決して社会の仕組みが、自分の仕事と関係ないと考えるのではなく、その渦中にあると考えなくてはなりません。

 どの時代もお菓子屋さんは消費の末端にあり、景気がよいときには最後にその恩恵に浴し、景気が悪いと最初にその打撃を受けてきました。上記のようなことを綴るまでもなく、お菓子屋さんの経営が社会のしくみ、経済のしくみの連環の中にあり続けていることを、経営者のみなさんはなにより身にしみて認識しておられると思います。
 2007年の年頭にあたり、サジェスチョンというよりは一経営者の所信を、自戒の念を込めで書き綴る稿となりました。昨年の一文字言葉「命」を、今年は「喜」に変えたいものです。長い眼で広く視野をもち、是非とも明るい一年にしましょう。
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