 |
|
 |
 |
 |
2月に静岡県島田市お茶の郷博物館で開催された「これからの茶業生産体制を考える」というシンポジウムに参加してきました。今回は静岡県の他、福岡県八女、鹿児島県と京都府宇治、4府県のそれぞれの方針が発表され、その後のパネルディスカッションでは活発な意見が交わされました。日本の現状から未来への姿を描いた話し合いは、現場の人ならではの活気に満ちたものでした。
その中で各地の茶づくりは、今、海外視野に入れたものなのかどうか、すでにベトナムの市場に進出したと言われる中国の茶との価格競争の現状はどうか、などの問題提起。あるいは、価格競争では図れない品質や日本の茶ならではの食感を、どのように維持するか、また理解に向けた方法論は、など多くの論議が繰り広げられました。
興味深かったのは、今、アジアやフランス、アメリカの一部で、寿司に代表されるように日本食ブームが起きていますが、この中に日本茶も、含まれてよいのではないか、という見解が示されたことです。政府が力を入れて、正しい日本食の認定をする、というような話もありますが、紅茶や中国茶だけではなく日本茶・抹茶の世界があることを、もっとアピールできたら、と思わずにはいられませんでした。日本酒とともに、食後には、苦みの強いお茶ばかりでなく、少し甘みがあるような玉露を、ほんの少し供する、などというスタイルをプレゼンテーションしたらどうだろうか、などと思いついたのですが、いかがでしょうか。本来の日本茶そのものを紹介していくのか、もっとマイルドなお茶としてプレゼンしていくのかは、いろいろ方法論があるでしょう。意見・議論が待たれるところです。というのも、実際にフランスで玉露の入れ方を紹介したり、各種のお茶を紹介したものの、ほうじ茶・玄米茶は反応が、今ひとつだったとの話、ドイツでは、なんとか評価があった、など、なかなか難しいようなのです。
ただ単に「お茶」といっても「お茶を楽しむ生活」こそが大切なのであって、そのためには、やはりまず、日本人自身がお茶に対する素養がなくては広まらないだろう、との意見もありました。その昔、漆や金など東洋や日本に対するあこがれから始まったジャパンブームがありましたが、「あこがれ」というのは、これまでの長い間、お茶が愛されてきたひとつの要素でもあるのでしょう。茶器や茶の間といったテーマから小物の魅力をアピールするのも、ひとつの方法ではないかと思います。?
そして、国内でのお茶需要に関して、いつどこでも交わされる話題が「『茶葉を急須で入れること』が、廃れてきている」ということです。シンポジウムの会場では、島田茶業協同組合が製造した、リーフ(茶葉)茶の販売促進のため「急須のいらない茶こし」が配布されました。茶葉を直接茶こしに入れ、お湯を注ぐだけ。茶殻を捨てる作業も簡単で、水出し煎茶にも利用できるというわけです。考えてみれば単なる「茶こし」なのですが、茶こしよりも簡単なつくりでしかも「自分専用」ということが今までとは違うところなのかな、と気がつきました。というのは「急須を使うのが面倒」なばかりでなく「家族内で飲み物が異なる」という個食化に通じる問題や、若い人が大げさな急須を使わないという現状にも対応して考案されたのです。一人でも気軽にお茶を飲んでほしい、という願いが込められている茶こしです。
また、島田市では一部の小学校で、蛇口をひねると緑茶が出るという「学校給茶機」が導入されていると聞きました。最近の子どもは、通年にわたって「冷たいお茶」を飲む傾向があること(ペットボトルを飲みつけているからでしょう)や、うがいにも利用することを考慮したものなのだそう。「学校給茶機」はすでに京都府宇治市でも導入されているとのこと。宇治では湯を使っているのに対し、島田市では水であることが違いだそうです。子どもの頃から、お茶に親しむ環境をというのがねらいだということです。お茶の世界は、ペットボトルとどのように戦い、どのように共存するかということが、大きなテーマになりつつあるようです。 |
 |

|
|